初めて中学生を教え始めたころ、驚いたことがいくつかあった。
その1つは、数学の教科書に「公式」として、あまりにも当たり前のことが、いかにも偉そうな顔をして載っていることだった。
あまりにも大切そうに書いてあるので、子供たちは勘違いして、それを覚えようとする。そこだけを覚えようとする。意味も分からず、どうしてそういう公式ができるのかも知らずに、ただ覚えようとする。そして、覚えてそれに数値を代入することで、正解を得ることができるから、なおさら覚えようとする。
しかし、理解していない公式を覚えていても、本当に基本的な問題は解けても、少しでも問題文が変わるとわからなくなる。もちろん、「覚えているものは忘れる」という当たり前のことが、しばらくすると起きる。そうすると「公式を忘れた」とか「やり方を忘れた」と言い出す。
そもそも、そこには公式もやり方も存在しないのだ。わかってしまえば、基本問題から応用問題まで、全てが同様に解くことができる。わからないから公式を覚えるという考え方は危険である。一事が万事で、勉強以外も理解しないで覚えようとする癖がついてしまう。すると勉強も出来なくなるのは当然であるし、大人になって臨機応変さがなかったり、気が利かなかったり、周りの空気を読めなかったりする。コミュニケーションから仕事まで、全部覚えようとする人がいる。これでは、疲れるだけで何も成果は上がらず、辛い日々を送る羽目になる。
取扱説明書やマニュアルはその例である。書いてある通りにやると、理解していなくてもできるが、書いていないことはできない。本当に分かっている人は、取扱説明書やマニュアルを全部丸暗記していない。
同様に、本当に数学が得意な人は公式を覚えていない。理科系の国立大学に合格した卒塾生に、「中3で習う、乗法公式って知ってる?」と聞いてみた。「それって何ですか」と返答された。勿論、速さの公式も、割合の公式も覚えていない。速さの意味と割合の意味を知っているから覚える必要がないのだ。
私は中学生に乗法公式を教えていない。乗法公式を覚えていない「いぶき学院」の塾生(中3生)は、全員とは言わないが、毎年学校の定期試験で高得点を取る。それは、乗法公式をみて「当たり前」と思えるくらい練習をするからだ。覚えていないから忘れない。理解しているから応用が利くのだ。
学校や学習塾の先生が、「乗法公式を覚えないと因数分解ができない」、「乗法公式を覚えなさい」、「乗法公式を利用して解きなさい」と子供たちに言うと、先生が言うことなので、子供たちはその通りにやろうとする。その結果、公式の意味を理解せず答を出そうとする子が出てくる。学力がつかず数学嫌いになる子もいる。
私は数学を勉強する理由を、「自分自身の問題解決のため」と考えている。これから何十年も生きていく子供たちは、さまざまな問題に出会う。乗り越えなければいけない壁もたくさんある。誰かの手助けを得ることもあるだろうが、自分自身で解決することの方が多い。だからこそ、問題を受け入れて、そこからわかる事、何ができるのかを分析し、何がわかれば解決するのかを考えて実行に移すのだ。意味の分からない公式ほど将来役に立たないものはないと思う。
知識、公式依存型の解法は、最低限の点数を取ることに役立つかもしれないが、ひょっとしたらそれにも役立たないかもしれない。少なくとも、先々の学習にはマイナスであると考える。そして、その考え方がその子の将来に渡る生き方考え方となっていくとしたら、数学の学習の価値はどこにあるのだろうか。
公式についてだが、公式は覚えるのではなく身に付ける。当たり前だと思えるように理解する。理解した公式は覚えていなくても、いつでも自分の頭の中から取り出すことができる。覚えていないから忘れないのだ。そのためには、基本の理解とその繰り返しが重要である。何でも「最後は基本」で決まるのだ。